土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

誰だお前

自戒も込めて。おまいうはこの際、棚に上げさせてくれ。

 

・私の仕事に横から口はさんでくる奴

 お前は助言のつもりかもしれないけどこっちから見たら時間もてあまして絡んできてるだけにしか見えないんですが。言ってくることも、言われなくてもわかってやってるんだけど、って感じるものが多い。それぐらいわかってその通りにしとるんじゃボケ。他人にも内面てものがあるのですが、知ってますか??忙しい時期でお前にストレスが溜まってるのは理解しているので、残念ながら何を言ってきても口答えはしませんけども。あ、でも社会だとうんざりする人間ってわざわざそれを突きつけられるというよりだんだん人が離れていくんでしたっけ。あ~あ、痛い目も見れないなんて可哀想。まあ、「自分のダメさをちゃんと理解できないことは不幸」っていう私の考え方も、お前にはわかってもらえないと思うけど。

 

誰だお前ってなる。マジで。自分のこの場における立ち位置どこだと思ってんの

 

 

 他人に目に見える迷惑をかけなければ精神的に成熟しなくても良い、って考え方もあるのかもしれないけど、じゃあそれ別に人間じゃなくてもできるよね?ってなる。ものすごく疲れてるときには無理に成長せずともこのままの自分で出来ることをしようと思うけどそれはまたそれで

 

「精神的に向上心のない者はばかだ。」

 実際問題、精神的に向上しようとしつづけることは難しいから、バカだと断ずることは峻烈な気もするけど、こう言いたくなる気持ちはわかる。経験上、ストイックな心を一面に抱えている人間のほうが信頼できる。だらだらと緩い人間関係と世間的なアタリマエの海をただよってのうのうと普通の人生を送っている人のことが憎らしくなる。そういう人は自分よりずっと社会的に優秀だから、たんなる劣等感からこんな感情になるのかもしれないけども。普通に生きてる人にだって、ひとりひとり内面はあるんだよな それを差し置いて 何言ってんだ ねぇ

やっぱり物事は常に自戒を込めて言わないと、頭の軽いウエメセに留まってしまう

 

 

言いたいこと、しっちゃかめっちゃか。おわり。

 

プライベートの消費に辟易する

 SNSが流行って、どうも私生活が「商品化」されている感じがしている。

 現実において関係のある人間が、今日はこんなことがあります~楽しみ~とか、言ってるともうああ~~~となる。そこまではまだこっちが勝手にああ~~となるだけでいい。問題は、投稿された内容に自分が関与している場合。

 内輪感のある文体で「今日の飲み会は楽しかった」とか書かれてて、その飲み会に自分が参加してるともうなんかダメ。記憶を遡ると、クラスみんなで撮った写真を勝手にツイッターに上げてる女にもモヤっとしてた。中でも私の名前を勝手にツイートするのなんか、もう懲役50年。日常の話題で空リプとかの流れがあれば別だけど。「生活の中の特別なワンシーン」に勝手に切り取られるとムカつく。

 お前の私生活を商品化するのは勝手だけど、私まで巻き込むなと思う。お前的には自分中心の世界かも知らんが、私は見知らぬ誰かにお前のプライベートの一部として消費されたくないのだ。

 限られた表現者たちが発表の場に台頭していた時代を、SNSは誰もが発信者としてスポットが当てられる世界に変えてしまった。どこの誰とも知らない一般人が放ったことも、1コンテンツとしてどこの誰とも知らない一般人たちにシェアされていく。双方向とか多様性とか言えば聞こえはいいけど、実際のところ個人が安易に「消費」されている側面があるような気がする。

 今やネットの匿名性も失われた。顔も名ももたない思念の集まりが渦巻くアンダーグラウンドな場所から、送り手も受け手も存在する者は一人ひとり人格をもちキャラクターとして独立している小綺麗なテーマパークと化している。以前はネットのリスクを語る際に「匿名ゆえの誹謗中傷」とかそのあたりのワードをしきりに聞いたが、もはやその匿名性も形骸化しているように思う。なぜなら現在のインターネット(特にSNS)における「匿名性」とは、もっぱら「素性を伏せている」という点にのみ特化しており、各利用者はすでに個として互いに認識し合っているからである。

 それっぽいことをそれらしく指摘したところでだからなんだという話だし、こんなことをぶつくさ書いても生産性皆無なんだけども。マジでチラ裏。

 言いたいことからだいぶ遠いところに来てしまったけど、要するにリアルの関係者諸氏は日常生活のコンテンツ化をするなら私のことは巻き込まないでください。

 

 まぁ、私もツイッターとかしてるんだけども。自分の意志で自分のプライベートを言いたい~~っていうのはあるからね

最近、良いな~と思った曲を羅列する

タイトル通りです

 

1.Perfume不自然なガール

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 というか、Perfume、全体的に良曲揃いじゃないっすか??タイアップばっかりあるから自然に元々いろんな曲を知っていたけど、このクオリティの曲がばんばん出てるのって冷静に考えるとスゴイ。特別ファンではないのに当たり前のように何曲も口ずさめるもんな。きゃりーぱみゅぱみゅとかも聞いてると、中田ヤスタカってキャッチ―でキュートな曲を作るのが物凄く上手いなと思う。自分はcapsuleでもプラスチックガール・super scooter happy・東京喫茶などが好きなので、可愛いエレクトロに極端に弱い節がある。不自然なガールの話をしろ。

Stop a moment. I can't stop loving you.

 いやこの歌詞かわいない?なんでも英語にしておばさん(邦ロックバンドに対して湧きがち)もこれには脱帽でしょ。語呂の関係とかもあるかもしれないけど。これはもう、can't stop lovingって歌詞であるべき。愛することをやめられない、なんて日本語で言ってもこの世界観にはあまりにも野暮。

 邦楽で外国語が入ってることの効果って1つは「なんとなくお洒落な感じになる」ことだと思うんですけど、ここの歌詞はもう1つ「思いが暗号化される」ことがとっても大事なんだと感じさせてくれる。歌詞全体から察するに、この曲の主人公の「不自然なガールちゃん」は「キミ」へ片想いをしているわけで、そりゃ英語も使っちゃうよねという感じ。

 それから、単純にダンスがすげ~好き。手をくるくるさせながら前進していく箇所とか。MV2:40付近のバリカッコいいのっちを全人類刮目して観よ。あと、YouTubeのコメント欄でもメチャクチャ言われてるんだけどこの曲は大サビ前のかしゆかのソロが最最最高なので耳をかっぽじって聞こう。個人的にこのMVで一番あざと可愛いと思ったのは1番Aメロで出てくるあ~ちゃんである。こんな風に出てこられたら普通は抱きしめます。

 あと、よく聞くのはSweet Refrain。いやマジで曲が良い。

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 PerfumeのMVは美術とか色合い凝ってますね。映像作品として楽しめるところもポイント高い。

 

 

 

2.NONA REEVES「記憶の破片 feat. 原田郁子(clammbon)」

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 名曲しか作れない男が、またやってくれましたね。

 ネタにされたことである界隈では異様な知名度を誇っているという脳内物質です(空耳)。自分はKKP経由で知ったのでその界隈の盛り上がりを知ったときはたまげたなぁ……。

 これはまぁ、メロディと歌唱力がごりごりの正統派バラードなので純粋にいい曲~!となりました。

 

 

 

3.tofubeats「ふめつのこころ」

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愛はきっとふめつのこころ

君をずっと見守っているからね

 

 お洒落なド変態ソング。MVを観ちゃうともうSTKの歌にしか聞こえませんね。その体で聞くと全部意味深な感じがしてしまう。

 

それは君へのまなざしだから

口には出して言えないよ ねえ

きょうもひとついいところ

みつけたからおしえてあげよう

 

 まなざし(監視)。口には出して言えない(直接対面しない)。きょう「も」ひとついいところ「みつけた」からおしえてあげよう(メール?手紙?)。

 こわい。2番サビの「愛はきっとふめつのこころ 君にずっと送っている気持ちです」もこわい。

 でもこの気色の悪さが癖になる。ミドリカワ書房の「誰よりもあなたを」も合わせてお聞きください。実際にあったらマジでたまったもんじゃないけど、創作物では摂取したくなる感じ、エロ同人に似てる。

 

 

 

4.ポップしなないで「魔法使いのマキちゃん」

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 はいきましたサブカルクソ女待望のやつ。というとまるでdisってるようですがそんなことはないです。サブカル女が好きなものをきっちり組んでいる感じがいい。ジャンクフード好きな人間がマックのハンバーガー食べてうめぇってなるのと同じ。

 曲の尺のわりに繰り返しが多く若干単調な感もあるが、かといってこれ以上盛り上がりを多くしてもそれはそれでなんだろうから仕方ない。とにもかくにもキーボードが100点なので、この良さが突出しているためにはほかの部分は平坦でいいのかもしれない。キーボードが中心の曲のつもりで聞くのが良いと思う。

 ポップしなないでは「エレ樫」の「THE・インターネット文化」感もなかなかコテコテで良い。

 

 

おわり

Do you know what is normal?

まともがわからない

ああう~

まともがわからない

ぼくには今 

(まともがわからない/坂本慎太郎)

 

 ハチャメチャにいい曲ですね。

 「ああう~」が気が抜けたような歌詞に見えて実はすごく旨味を出している。わからないときってホントに「ああう~」ってなるよね。

 ときめきが足りない毎日を送っていると自分内で専らの評判の私です。かなえたい夢などはたしてあったっけ。

 

 生きるか死ぬか保留にしてとりあえず時の流れに身を任せ系人類にそっと紛れ込んだわけですけど、やっぱり保留くらいがちょうどよいのかもしれん。元々。そもそも私って根っから「白か黒か、零か百か」の両極端ピーポーに属していて、そういうところが生きにくさを生じさせてるのでは?と気づいたので。不健康な方向にズブズブはまりこんでいくだけなのも人生楽しくないし、かといって健康な方向に向かおう向かおうとするのも性分に合ってないし(ていうかその手の体力がない)。とりあえず本当に死ぬのだけはどうしたって実現不可能な気がするので、どっちつかずな感じでこのままだらだら息をしていこうと思う、ということで自分議会では手が打たれたのであった。

 気のもちようだよって人に言われるのはイヤだけど、自分の中で「ああ、結局のところ気のもちようなんだよな」と腑に落ちたところ。嫌いな自分が唐突に新装開店リニューアルされることもないし、息苦しい現実がぜんぶ改善されることもない。内面はこどものままでも、この年にもなればいい加減、自分のことは自分でやらねばならない。駄々をこねたって現状は下り坂に向かうだけなのだ。なんだか、問題が落ち込んでる時間が長いか短いかだけの違いなようだと気づいたため、じゃあ早く復活した方がお得じゃんと思い、楽しい方面に向かって漕ぎ出すことに決めたところである。

 あと、復活って言っても100パー元気になることを目途にするのではなく「今やってることをやめちゃわない」程度で留めておけばよいのだと思った。このへんも、極端志向脱却の一環。休むなら全部やめちゃって、復活するならちゃんと頑張らないといけないとか、前は思っていた。参加していても、部分的にちょっとサボるのはアリだと知ってから、ちょっとハードルが下がった感じがする。まぁその分、手の抜き方の塩梅がまた難しかったりもするのだが(頑張りどころで気持ちが切れて怒られることが多い)。

 

時には涙を流してみたり

窓ガラスが壊れるほど 叫んでみたり

ダンスしたり ジャンプしたり したい

もう疲れた 君は戸をあけて

突然外に 出た

(君はそう決めた/坂本慎太郎)

 

 ゆらゆら帝国のギターボーカルだった坂本慎太郎という人の曲はすごくいいですね。なんかこう、部屋でひとりうじうじしてる時に聞くと「そういうことってあるよねぇ~」って言って、隣に座ってのんびり歌ってくれているような、そんな気持ちになる。「もう疲れた」のあとに「突然外に出」るのがいいですよねこれ。疲れたら普通お家で休むんでしょ?となるけど、違うんだよなぁ。恋をしたりけんかしたり叫んだりダンスしたりジャンプしたり、アクティブな「したいこと」があるから、自分の内側に引きこもっているのは「もう疲れて」「外に出」るんだよなぁ、きっと。痛いくらいにわかる。

 なんかこう、本当に深刻な感じでメチャクチャ死にたくなってたけど、一晩家のベッドでちゃんと寝て音楽を聴いてバイトに行って、帰りに自転車を漕いでいたら、突然ふっと「半端に生きていこう」と思ったので、そう決めてみたよ。

 

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