土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

オタク大学ロマンチスト学部

 ロマンチストだ。加えてナルシストだ。

 先日、ツイッターで「オタクは創作物の中の会話を参考にするから話し方がどうも演技くさくなる」というツイートを見かけてなるほどと思った。自分はそこで、話し方以外にもオタクにはある種の傾向が認められるのではないだろうかと思って己の「クサイところ」を振り返ってみた。すると、人情あふれるロマンチックな行動を現実においても志向するクセが認められたのだ。いやまあ、以前からうすうす感づいてはいたんだけど。

 明瞭な具体例が出てこないのだが、自分の熱意とか過去だとかに陶酔するところからその良くないクセは発生しやすい。なんというか、真剣になりやすい。で、その真剣さを外に出しやすい。日常の中でいちいち「マジ」になってしまう。で、その「自分のアツさ」に対して酔っちゃったりなどする。分析して内実を暴いて言葉にするとほんとうに恥ずかしい。さらには周りのパンピたちよりも自分がいつも真剣に物事を考えてる錯覚にさえ陥って優越感に浸ることさえあるから厄介だ。見下してる周りのパンピたちが普通にやれてることに憧れてるくせに、ロマンを発揮できる場面になると変に発熱しだすからよくない。

 オタク一般に言えるかはわからないが(なにしろオタク相手とですら人間関係を築くのが難しいからデータが少ない)生身の人間とのかかわりをもてない→創作物の世界に慣れ親しむ・そこで人間の内面にふれる→生身の人間とのかかわり方は知らないから現実で失敗する以下繰り返し、のディスコミュニケーションスパイラルになってしまう。そして、一方では「人間の内面」とか「情」に触れ続けてるから異様に繊細になっていく。こうしてコミュニケーションに難を抱えたまま無駄に傷つきやすい人間が生まれるのだと思う。少なくとも自分はそのクチだ。大体こんな悪循環を経て、普通なら限られた場でしかさらけ出さない弱みや熱意を簡単に提示したがるいわゆる「ファッションメンヘラ」と呼ばれる人種にワープ進化をした。

 話の出発点からだいぶ離れたところに来てしまったがうまくまとめるつもりで書いているわけではないので妥協。

 

 ところで、この記事にも少なからず使った、特別な意味を示すためなどに語を括る「」の用法、これもロマンチストファッションメンヘラオタクの悪い癖なのではないかと思っている。学校で書く文章とかでもよくこれやってたわ。その当時すでになんか「」の多用ってなんかアレなソレだなと思いながら使ってたなと思い出してたら今ちょっと胃液がせりあがってきたのでぐっと飲みこみました。