土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

セールストークと人情

 将来AIに人間の仕事がとって代わられる、と昨今しきりに叫ばれている。それに付随して、「とって代わられない部分」も話題に上がっているように感じる。

 「意味」を理解すること。そして「情」を理解すること。その最たるものが第三次産業、サービス業であろう。

 

 さて、大それた前置きはさておき、今日、新しい靴を買った。この靴は、昨日靴屋の店員に薦められて購入を決めた。

 新しい靴を買いたいな、とは思っていた。けど、別に今すぐじゃなくていいし3000円くらいで安売りされているもので構わないつもりだった。「こんな上等なやつは自分では手が出ないな~」と思いながら参考のために物色していると、店員に声をかけられた。

 自分は店員に声をかけられることに「ウッ」となるタイプだ。だって、買わないかもしれない商品を見ているときにその売り手たる存在に捕捉されるのって恐ろしくないすか??服屋さんでは特に、買わねーのにそのダッサい格好でチラチラ見てんじゃねーよと思われている気がしてならない(ここ自意識過剰)。

 だから、店員が声をかけてきそうな気配を察知すると、それとなく脱出するなどしていた。しかし、先日から自分はつとめてナチュラルに生きると決めたため、店員の声かけを甘んじて受け入れた。

 親切なおにいさんが、自分が興味を示していた靴を指して、これ昨日入ったばっかりなんですよ~と球を放ってきた。へー、棒読みで打ち返す。新作。型落ちによる値下げ品ばかり狙ってきた自分には高嶺の花だ。最近、機種変したスマホも2017年夏モデルです。

 靴自体は欲しいと思っていたのだが、あいにく持ち合わせの金もなかったため「今日は買うつもりないんですけど……」と卑屈な愛想笑いをキメた。しかし、おにいさんは「全然大丈夫ですよ~!試しに履いてみるだけでもどうですか?」となんのその。なんだこの人、太陽か??こちらが雲を呼びよせてもなお光り輝くぞ。

 ちなみにそのとき、元々この日のお目当てだった靴の中敷きを持っていたのだが、それも「お預かりしますよ!」と受け取ってくれた。細やかである。

 今日は買わないと断言したにもかかわらず、極めて明るく親切に提案してくれたおにいさんに素っ気ない態度をとる気も生まれず、なし崩し的に試着する流れに。まぁ、こういう良い靴を履く機会もめったにないのだし体験くらいいいかという気になってくる。この時点でおにいさんの「技」は決まっている。

 見本のサイズを履いたところ、自分には若干小さめであった。「あっちょっと小さいですね……」と半笑いで言うと、おにいさんは「いつもはどれくらいのサイズなんですか?」とすかさず聞いてくる。その質問に答えると、おにいさんは「わかりました!出してきますね!」と爽やかにバックヤードへ駆けて行った。戦慄した。今日は買わないって言ってる客のために……靴をわざわざ倉庫から持ってきてくれる……。その精神はどこからくるの?(赤ちゃんはどこからくるの?

 なんと、おにいさんは靴紐まで結んでくれた。いままで生きてきてこんな姫プレイ受けたことないんですけど……。童貞的動揺を押し隠しながら紐が結ばれるのを待った。

 おにいさんが出してきてくれたサイズは、しっくり馴染んだ。つま先のところがやや余り気味に思えたが、それについて尋ねてみると、その程度でちょうどいいらしい。おにいさん曰く「自分はいつもこのくらいで履いてますね!」。

 いや、実際履いてみるとやっぱり良い靴は「良い」のだとわかる。中敷きのクッション性も高く疲れにくそうだし、靴底もしっかりと硬くちょっとやそっとでは壊れそうにない。いつもケチって買っていた安価なスニーカーとは足の裏に伝わる安心感が違った。安かろう悪かろう、とはこのことか。

 おにいさんの接客と靴の性能に、自分はいつの間にか真剣にこの靴を買う気になっていた。しかし、実際問題この靴を買うだけの現金は所持していない。おにいさんに今度来たときに買いますと告げて、その日は結局インソールだけ買って帰った。

 

 帰り道、接客業ってスゴイと思った。買うつもりのなかったものが急激に魅力的に見えてくるのだ。

 きっと、あの靴屋の店員たちは買う客にも買わない客にも平等にあのような親切丁寧な接客をしているのだ、と思うと泣けてくるのだ。靴は、庶民にとっては決して安い買い物ではないだろうから、きっと買わない客のほうが多いだろう。それでも、彼らは店を訪れた人間が商品を眺めていれば声をかける。彼らにとってはそれが仕事だし、あるいはそこまで声をかけるということが苦でないからかもしれないが、やっぱり買うか買わないかわからない人間に明るく親切に接しつづけるというのは胆力が要るだろう。自分がそういった、積極的・自発的な声かけを苦手とするせいで余計にそう感じた。

 これだけ店員に感情移入してしまうと、「お前怪しいツボとか買わされちゃうぞ」と思われるかもしれないが、ツボと靴では話が違う。怪しいツボを売りつける人間は健康ではない。あくまで、親切で健康な人間におすすめしてもらうのがいいのである。あと、単純にそもそも自分で必要だと思っていないものはさすがに買わない。

 そして、今日その靴を買ってきた。買うと決まったものをそのままにしておくと、いつまでも頭の片隅に「買わなきゃ」というモヤモヤが居座るため、行動に移した。残念ながら、例のおにいさんはいなかったのだが、可愛いおねえさんが対応してくれた。おにいさんの接客に感謝していることを伝えたかったが、変な人にはなりたくなかったのでぐっと我慢した。客側の感謝って、お店に伝わるよりもずっとたくさん存在していると思った。

 

 近所のスーパーのレジは、店員が商品をスキャンするが、精算部分だけは機械で済ませられるように変わった。人間がお金を取り扱うよりはずっと間違いはないと思う。計算ミスがなくなれば店員もお客さんも困ることは減るし、慣れない完全セルフレジよりもレジの回転率は良いだろう。

 機械で出来ることが増えた分、人間の長所とは何か問われている気がする。そして、ものすごくありふれた考えに行きついてしまうのだが、人間がもつ一番の武器は「感情」なのだと思う。だから、PONANZAがどれだけ強くなっても羽生さんや藤井五段に熱狂するし、スーパーコンピュータの計算速度が上がってもその開発チームにスポットを当ててしまう。理屈をわきまえていることはもちろん大事だけれど、情熱をもって物事を受け止めることができれば、日常が華やいでくるような気がする。

 

 以上、「靴を通して人生の機微に触れた話」にみせかけて、「親切なおにいさんに接客されてるうちにいい気になってちょっと良い靴を買ったちょろい人間の話」でした。