土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

Do you know what is normal?

まともがわからない

ああう~

まともがわからない

ぼくには今 

(まともがわからない/坂本慎太郎)

 

 ハチャメチャにいい曲ですね。

 「ああう~」が気が抜けたような歌詞に見えて実はすごく旨味を出している。わからないときってホントに「ああう~」ってなるよね。

 ときめきが足りない毎日を送っていると自分内で専らの評判の私です。かなえたい夢などはたしてあったっけ。

 

 生きるか死ぬか保留にしてとりあえず時の流れに身を任せ系人類にそっと紛れ込んだわけですけど、やっぱり保留くらいがちょうどよいのかもしれん。元々。そもそも私って根っから「白か黒か、零か百か」の両極端ピーポーに属していて、そういうところが生きにくさを生じさせてるのでは?と気づいたので。不健康な方向にズブズブはまりこんでいくだけなのも人生楽しくないし、かといって健康な方向に向かおう向かおうとするのも性分に合ってないし(ていうかその手の体力がない)。とりあえず本当に死ぬのだけはどうしたって実現不可能な気がするので、どっちつかずな感じでこのままだらだら息をしていこうと思う、ということで自分議会では手が打たれたのであった。

 気のもちようだよって人に言われるのはイヤだけど、自分の中で「ああ、結局のところ気のもちようなんだよな」と腑に落ちたところ。嫌いな自分が唐突に新装開店リニューアルされることもないし、息苦しい現実がぜんぶ改善されることもない。内面はこどものままでも、この年にもなればいい加減、自分のことは自分でやらねばならない。駄々をこねたって現状は下り坂に向かうだけなのだ。なんだか、問題が落ち込んでる時間が長いか短いかだけの違いなようだと気づいたため、じゃあ早く復活した方がお得じゃんと思い、楽しい方面に向かって漕ぎ出すことに決めたところである。

 あと、復活って言っても100パー元気になることを目途にするのではなく「今やってることをやめちゃわない」程度で留めておけばよいのだと思った。このへんも、極端志向脱却の一環。休むなら全部やめちゃって、復活するならちゃんと頑張らないといけないとか、前は思っていた。参加していても、部分的にちょっとサボるのはアリだと知ってから、ちょっとハードルが下がった感じがする。まぁその分、手の抜き方の塩梅がまた難しかったりもするのだが(頑張りどころで気持ちが切れて怒られることが多い)。

 

時には涙を流してみたり

窓ガラスが壊れるほど 叫んでみたり

ダンスしたり ジャンプしたり したい

もう疲れた 君は戸をあけて

突然外に 出た

(君はそう決めた/坂本慎太郎)

 

 ゆらゆら帝国のギターボーカルだった坂本慎太郎という人の曲はすごくいいですね。なんかこう、部屋でひとりうじうじしてる時に聞くと「そういうことってあるよねぇ~」って言って、隣に座ってのんびり歌ってくれているような、そんな気持ちになる。「もう疲れた」のあとに「突然外に出」るのがいいですよねこれ。疲れたら普通お家で休むんでしょ?となるけど、違うんだよなぁ。恋をしたりけんかしたり叫んだりダンスしたりジャンプしたり、アクティブな「したいこと」があるから、自分の内側に引きこもっているのは「もう疲れて」「外に出」るんだよなぁ、きっと。痛いくらいにわかる。

 なんかこう、本当に深刻な感じでメチャクチャ死にたくなってたけど、一晩家のベッドでちゃんと寝て音楽を聴いてバイトに行って、帰りに自転車を漕いでいたら、突然ふっと「半端に生きていこう」と思ったので、そう決めてみたよ。

 

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