土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

最近よかった楽曲を羅列する回

①Juice=Juice「BLOODY BULLET」

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 サムネの江端妃咲さんが非常に素敵ですね。歌唱について、グループを引っ張る先輩メンたちの安定感が半端ないのは言うまでもありません。ですが、いわゆる盛れミで新規をとりこにした「ツインテールの子」こと川嶋美楓さんと「眼鏡の14歳」こと林仁愛さんにもかなり歌割があり、彼女たちの歌唱を鑑賞できるのもおすすめポイント。また個人的にはこのアクトでは1:34~あたりからの有澤一華さんのパフォーマンスがピカイチだと思っております。ハロオタとしては盛れミ旋風に乗ってこの楽曲も見つかってほしいところ。

 

②ずっと真夜中でいいのに。「間人間」

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 4thフルアルバム「形藻土」のリードトラック。かっこよさ全振りのずとまよです。イントロで楽器がすぱっすぱって止まるのがかっこいい(この技法なんていうの?)。低血ボルトの系統って感じで、終始疾走感が心地よい。まあ、とにかく聴いてください。なお、同じアルバムの「ultra魂」もタイトルからしてかなりコテコテのネタ枠なのですが、普通にいい曲なので嘘アニメのOPとともにご視聴ください。

 

③ついなちゃん/いのうつはSA「忘れものセンターにまたね!」

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 希望と絶望を同時に味わいたい人向け。曲はずっと明るく、映像もどこかすっとぼけているのですが、歌詞がほんのり薄暗い。

 

④いよわfeat.春日部つむぎ「散歩の邪魔」

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 心を怪我したあなたが、指を怪我した春日部つむぎちゃんとお散歩に行きます。

 いつまでも上手くなんない口笛を聞いてバカにしてあげましょう。

 

⑤最後に、ハロオタから

 最近は家にいる間ずっとハロプロの曲を聴いています。盛れミ効果で盛り上がっている今のJuice=Juiceを見ていると、モーニングでいうところの'14みたいなひとつの完成された期のような気がします。初期メンが最強というさすがに老害すぎる前提はありつつ。

 モーニングのほうはベテランが抜ける一方の少人数体制ですが、これまで埋もれていた各々のスキルが見えやすくなっていて、これはこれで面白い時期なのではと思います。小田さくらと牧野真莉愛が卒業してしまうのは大きいですが、ちぇるリーダーが歌で引っ張り、すっかり中堅の顔をしたほまめいらいりーがパフォーマンスに安定感を与え、そこにしっかりと食いついてくる17期。私としてはかなりワクワクです。

 そういえば、DECA!BEATの「ワッチャ☆フューチャー」につきましては皆さまも当然ご視聴済みのことと存じます。各グループからとにかく目がでかいメンバーを選出してきた顔整いアヴェンジャーズなのですが、当然全員歌も上手い。米村姫良々はOCHA NORMA所属だけではもったいないので、あらゆるアイドルグループのセンターをやりなさい。

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おわり

星野源「いきどまり」の話

 星野源「いきどまり」が公開となった。「いきどまり」の詞は別れを主題にしているが、私はこの曲は星野の死生観を表す代表曲になったと思う。

 星野はこれまで詞やライブで彼のもつ死生観を表現してきた。たとえば「Why」では以下のような歌詞がある。

 

人はやがて 消え去るの

すべてを残さずに 綺麗にいなくなり

 

 星野の歌詞世界において死とは無である。死んだら何も残らない。そして死は人間に例外なく訪れるものでもある。必ず、等しく訪れるただの終わり。それが星野の描く死だ。

 また生についても星野は非常にドライである。今年開催されたライブツアー「MAD HOPE」。星野が自ら脚本を書いた声劇では次のようなセリフがある。「生きてることに意味なんてないんだ」(記憶にある限りなので正確さを欠いている点は容赦願いたい)。生に意味はない。存在意義であるとか、価値といったものとは無縁の時間。

 人はいつか死ぬ。生は無意味。人の生き死にに安易な物語を付与しない。それが星野の歌詞における生と死のありさまだ。

 

息が止めば

生まれ変わり

君に逢える

ただ燃えて消えて

いなくなるの

ベタな

雲の上の再会もない

 

 もう二度と会えない別れ。その極限としての死。「いきどまり」という歌は離別を迎えるほかない行き詰まった関係性の比喩であると同時に、息が止まり生命が失われる瞬間をも照準に入れている。引用した部分は星野の死に対する認識を端的に表した一節であると思う。

 私たちは出来事に意味を見出そうとせずにはいられない。なんらかのストーリーに統合できるように理解しようとしてしまう。そんな風に人生を物語としてとらえようとすると星野の死生観はドライなように思える。だが誰かの死に物語性を見出すということは、その人がいなくなりもう二度と会えない事実を直視することからの逃避にもなるかもしれない。

 「いきどまり」を聴くと私たち生きている人間はもう少し、死とは永遠の別れであるという至極かんたんに思える事実を受け入れる必要があると思わされる。

夕日記

2025年2月16日㈰

 夫のアラームで目が覚めた。自分の体から布団をはぎとり正座をする。夫が休日勤務のため家を出ていった。立ち上がってラジオ体操をする。徐々に身体そのものが覚醒してくるのを感じたあと、Twitterをひととおり見ていた。

 突然、夫から着信があり忘れ物をしたので会社まで届けてほしいとのこと。慌てて支度をして家を出た。夫とは無事に落ち合った。とにかく急いで来たのでのどがカラカラだった。

 帰りがけにりんごジュースと白桃ヨーグルトを買った。ジュースはすぐに飲んだ。乾いたのどに甘みと酸味が広がり、ようやく潤いがもたらされた。

 帰ってきてからヨーグルトを食べ服薬をした。暇だったので3枠ほど配信をやるともう昼どきになっていた。昼は確かバナナを食べたような気がする。

 午後は鍵アカウントのフォロワーとDiscordでチャットをした。人と会話のキャッチボールをするのは文字でも難しい。ずいぶん言い回しに悩みながら返答を考えた。

 チャットがいったん途切れて暇になり配信をしていると夫が帰ってきた。休日出勤なので適当に業務を切り上げて帰ってきたらしい。ふたりとも腹が減っていたので近くのドラッグストアまで買い物に行った。いまはお菓子をたくさん食べてお腹がいっぱいになっている。

 そんなわけで昼寝を挟むことなく夕方を迎えた。2月後半の目標は「寝るとき以外は布団に入らないこと」である。

夜日記

2025年2月7日㈮

 久しぶりに日記を書く。間が空いたのはどうにもやる気が出なかったからだ。なにしろこのパソコンのある部屋は寒い。暖房器具もなく窓からの陽射しも届かない。そんなわけで惰眠をむさぼっては突如として「ワーーー」となり布団の中でバタバタするなどしていたら1週間が過ぎていた。

 今日はめずらしく8時前に起き上がることができた。朝食を食べた後は配信をしながらアニメを観た。しばらくだらだらしたあとは荷物の受け取りにヤマト運輸の営業所まで歩いて行った。歩く目的地があると外に出ようという気持ちになるので読みたい同人誌が出るのはありがたい(オタクはすぐありがたがる)。

 帰ってくると昼だった。薄い本を1冊だけ読んだあとパンを食べて昼食にした。最近同じパンにはまっている。こしあんと一緒にたっぷりのホイップクリームが入っている菓子パン。太り手御用達の一品である。

 昼食後うとうとしていた。通院は夕方なのでと油断していたら眠ってしまった。起きるともう遅刻確定の時間になっていた。慌ててクリニックに連絡をして家を出た。クリニックまでは電車で通っている。駅に着いたあとようやく落ち着いた。これであとは電車を待つだけでいい。焦らなくていい。

 診察ではまた最近悪夢がひどいという話になり、処方薬が増えた。今日から飲んでみるがあまり期待はしていない。結局自分の脳内で会社のことを想像して思い悩んでいるのが根本にあるのだからあんな錠剤の欠片ごときで夢の内容が変わるとは思えない。以前にも悪夢を見ると相談して薬を処方してもらったが、そのときも変わらず悪夢を見て結局やめた覚えがある。

 2月もあっという間に1週間が経った。私に残された時間はそう長くない。朝の目覚めが悪くともきちんと起き上がって、昼間も睡眠に逃げず、夜も夜更かしはせずともそれなりの時間を起きて過ごさないといけない。

 今日このあとは夫が帰ってきたら夕飯を食べ、風呂に入る。そこまでは何も考えなくともできるようになってきた。夜のルーティーンができているのは大きな進歩だ。以前は1日1日風呂に入るか否かでうだうだしてしまっていた。今では無心でとにかくお湯を被れ、雑でいいから頭と体を洗って風呂に浸かれ、と己をコントロールできるようになった。体を洗うという強制力のためにも風呂は湯をはって入ったほうがいい。

 手がかじかんできた。おおむね1000文字書いたのでよしとする。

休日日記

2025年1月26日㈰

 地震で目が覚めた。起きると夫が出かける前にやりたいとゲームを催促してきたので一緒に遊んだ。夫が出かけると昨日受け取った同人誌を読んだ。良すぎて独り言を言いながら少しずつ読んだ。私は最近、家でひとりになると独り言を言う癖がついた。

 いっときに受け止められる萌えの容量をこえたのでドラマを見ることにした。最近は綾野剛さんの演技を目当てにコウノドリ(2015)を見ている。そういえば今日は綾野剛さんのお誕生日だそうです。おめでとうございます。素敵な作品づくりに携わってくださりありがとうございます。コウノドリを見ていると赤ちゃんが無事に生まれてくることがどれほど奇跡的であるか、と訴えられる。そういう意味でも綾野剛さん、生きていてくださりありがとうございます。

 このブログを読んでいる方はご存じだと思うが私はニコニコ生放送で時折ぶつぶつとしゃべる活動をしている。ドラマをひとりで見ていると独り言を言うので今日のコウノドリはニコ生を配信しながら見た。ドラマの内容は苦しい決断ややりきれない思いの連続ばかりだったが、楽しく見ることができた。ひとりでこういうドラマを見るとやはり、やり場のない思いを抱えることになる。

 基本的に夫とはドラマや俳優の趣味が合わない。だから大抵、自分が本当に見たいドラマやアニメなどはひとりになったタイミングで見る。横から余計な感想を言われたくないからだ。それで感想の行き場がなくなる。それで独り言が出るようになったのだと思う。

 私たち夫婦の会話の主導権は基本的に夫にある(夫はどう思っているか知らないが)。私が何か言っても夫はたいていふふ、とかよかったね、とか、薄い反応を返してくるか、えー違うよ云々と自論で言いくるめてくる。最近は夫に外で予定があると無理して一緒に過ごさなくていいことに解放感を覚える。なんで結婚したのかわからない……と思うときもある。でも昨夜ふと夫が笑ったときになぜかものすごくあぁいい笑顔だなぁと心がほころんだ。結婚は非日常ではなく連続していく日常だから上記のように相手のことをうーんと思ってしまうときもある。だが、そういうささいな笑顔といった光は日常だからこそ生まれるのかなとも思う。

 今は夫がずいぶん前に買って存在を忘れ去った米粉をパンケーキにして食べている。そういう忘れ去られたままの調味料がうちにはたくさんある。この間も半端に余っていたたこ焼き粉をお好み焼きにこっそり混ぜて使い切った。

 書くことがなくなってきた。もはや日記なのかもわからないが、まあ、終わります。

夕日記

2025年1月21日㈫

 昨日は週明けから目覚めが最悪だった。起床に失敗し暗澹たる気持ちで1日を過ごした。寝逃げスマホ寝逃げ。こんなザマで春に復職できるのか。悪夢を見るたびに起き上がれなくなるようでは無理じゃないか。

 今日も昼まで眠った。先週までのやる気が噓のようだった。あまりにも短い。休日の過ごし方がよくなかったのだろう。土日のどちらも昼まで布団でだらだらと過ごした。本当は平日だろうと休日だろうときちんと朝起きて活動量を一定に保ったほうが調子はよくなる。院生のとき就職支援の先生に言われたことだ。

 14時を過ぎたころ、さすがにスマホでの現実逃避に嫌気がさして「ああああああああああ!」と大声を出して布団から出た。そのまま何も考えないで服を着替え出かけた。歩き始めると後ろ向きなことを考えなくていい。

 目的地のヤマト運輸の営業所がこのあたりにあったはずだと思っていたのに見つからない。慌ててGoogle Mapを開くと道沿いよりやや奥まったところにあって通り過ぎてしまっていた。道を引き返して無事に荷物を受け取った。荷物を営業所止めにしておくとせっかく業者の方に来てもらったのに受け取り損ねるという可能性もなくなるし、何より歩く理由ができて良い。

 それにしても今週は先週までに比べて暖かいらしいとは知っていたが、実際外に出て歩いているとほんとうに暖かくなったと感じた。このまま春に向けて少しずつ、寒さが戻ってくることなく暖かくなっていけばよいのだが。

 今日は早起きも化粧も長時間の散歩もしなかった。せめて夕飯だけはつくらなくては申し訳が立たない。誰に対してかといわれると具体的な相手はいないのだが「申し訳がない」という感覚である。まっとうに回っていく世界に対してだろうか……。ほんとうは生きているだけで申し訳ない感覚すらあるところを、そこから目を背けたり背けられなかったりしている。その繰り返しだ。