土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

言葉のカスタムセンス

 組み合わされて使われることのあまりない言葉を合体させると謎の面白さが生まれることがある。

 自分は引きこもりキッズだったころ、ポケモンルビーにハマっていた。この中には、「流行語」という要素があり、用意された語群から2語を組み合わせるとゲーム内でその造語が流行るという仕組みであった。そのときにツボにはまった流行語を今でも思い出す。「うおりゃー かいりき」。感嘆詞のうおりゃーと技名のかいりきが組み合わさって出来ている。

 かいりきを発揮するときはうおりゃーということもあるだろうから、あまり関係のない語でもないのだが、少なくともうおりゃー→かいりきという順序なんかはそれまでに見慣れなかったものと言っていい。

 ところで、世の中には言葉の組み合わせ方が非常に秀逸な人間が沢山いるなあと思う。彼らに編み上げられた表現のなんと心惹かれることか。必要な量に抑えられた描写の向こうに広がる、豊かな情報量。そういう文章に出会うと、しゅごいいいと思いながら半開きの口から「ひょえー」などと言うくらいしかできない。

 ただ単語と単語の組み合わせが新鮮なだけだったら凡百代表の自分にも思いつく。エアコン焼肉とか。でも、ただ関係ないものを足しただけで全然面白くない。部屋で稼働してるものと食べたいものを安直に並べただけだし。

 表現したいことと表現する材料って基本的に見合わない。思考って頭の内側にあるときは順序立ててしたりとか言語化したりとかはしてないから、外側に出すときにうまく変換されない。やりたいことに手段がついてこないのだ。言語はコミュニケーションのためだけに存在しているわけじゃないから、「手段」と表現するのはアレなんだけども。

 作家っていうのは自分の描きたいものを言語っていう制約の中で編み上げようとしているからすごいなと思う。『舟を編む』の中で、辞書は言葉の海を渉るための舟なのだ~~みたいなタイトル回収的なセリフがあったと記憶している。辞書が船ならば人間は船頭のようなものなのだろうが、中でも作家はさしずめ海洋冒険家のような感じだろうか。う~ん、やっぱり比喩が下手。

 言語は膨大なようで有限だけれど、それをうまく編み上げることで無限に思考を表現しうる。憧れるなぁ。サンタさん、今年のプレゼントは語彙と表現力がいいです。いい子じゃない上にいい年こいてるけど、脳みそかっぴらいて待ってます。