土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

う~む

 孤独感・疎外感といったものに、物心ついたころから悩まされている。

 どうにかしてこれを癒したい、緩和したい、と思っている。

 「当たり前」に「普通」の生活をしている「一般的な」「みんな」に、自分は到底追いつくことができない、という漠然とした社会全体からの疎外感。

 もちろん、ヘーキな顔して生きてるフツーのみんなも、見えないところでたくさん悩んだり苦しんでたりするということはわかっている。当たり前に生きているように見える人は、当たり前に大変な日々を送っている。それは知っている。

 でも、そういう人たちって大変さとうまく付き合えているから、普通に生き続けられるんじゃないかと思う。どうやってうまく大変さと付き合うか。それは、悩みを打ち明けられる・一緒に楽しくお話をすることができる仲間の存在によってであろう。多分。

 物理的・経済的な困窮も含めて、たいていの悩みってまず入口には「聴いてもらえる人の存在」による救いがあるように思う。どんな悩みも、最終的には実際問題の解決が求められるとはいえ、やっぱり一人で悶々と抱え込んで追い込まれるよりは、とにかく誰かに「自分が苦しんでいる」と「知ってもらう」、すなわち外界に自己内部を接続することが大切だ。と私は思う。

 しかし、対人関係に難のある人間ってそこがネックで、「人と関わることが大変なんです」っていう悩みを言う人をなかなか見つけられない。もちろん、理由は「人と関わることが大変だから」である。ウロ尾状態。

 フツーに見える人も、蓋を開けてみれば自分とおんなじ悩みをもしかしたらもってるのかもしれないけど、「この人はまっとうに生きてて立派だなぁ」という気遅れが生来の性質にブーストをかける。で、結局は似た者同士を見つけて、じわりじわりと距離を詰めることしかできない。注意が必要なのは、いわゆる陰キャだからといって、必ずしも友達が少ないとか人間関係に不満足を覚えているわけではないということだ。ちゃんと学校に通ってきており、特別に学級で疎外されることもなく、決まった友人と仲を深め休日や放課後には遊ぶ約束などしているライト陰キャも数多く存在する。

 

 あーあ。

 

 要するに、悩みを共有できそうな相手との間にすら、隔絶感を味わってしまうのだ。これではなんかもう、万年雪のように孤独感をこころに降り積もらせ続けることしかできない。シンドイ。

 書いてたらよくわからなくなってきた。寝ます。