土葬

インターネットの片隅で、壁に向かってシャドーボクシングをしています。

逆行による変革

 先日、アイマス脱却おじさんのブログを読んだ。「こんなに入れ込んでいたものでも、違和感に従って周到に用意をすればやめることができるんだ」と思った。

 自分にとってはツイッターがそれで、4年ほど前に始めてから受験期であろうとインターネットができる環境にいる限りはページを開いてきた(でも、見られなかった分も後々遡って見ていた)。

 ツイッターをやめたい。完全に断ち切るとはいかなくても、生活の中で当たり前に触れるものではなくしたい。ネットの流行に敏感でありたいとは思う一方で、数多の人々の思念うずまくあのタイムラインに日常的に脳内を浸潤させていることがおそろしくなってきてしまったのだ。

 変革とは、新しい世界へ踏み出すことだと長らく考えていた。けれど、「新しく前の状態に戻る」ことも大事なのではないかと気づいた。進化ではなく、回復へ向けての前進。

 騒がしいSNSから逃れて、静かな場所で自分とふたりきりになってみたい。さながら、合コンから二次会へ移るその間に、ひっそりと二人で抜け出すカップルのように。いや、合コン行ったことないけど。オタクだからそういうシチュエーションには馴染みがある。自分という存在にきっちり向き合って、彼女が後回しにしてきた読書や勉強や観劇などなどをさせてあげたい。せわしさにかまけてネットでとっていた仮眠を捨てて、灯りの消えた部屋でそこそこの時間ほんとうの睡眠をとらせてあげたい。

 自分が忘れていた自分の行動可能性を戻すために、「良かった昔」に戻っていこうと思う。たとえば、このブログもその一つ。「インターネットが“特別に”楽しかったころ」を味わいたいのである。インターネットが好きな自分は変えるつもりはない。いわゆる健全な人間に自分を矯正したいわけではないのだ。自分が欲する不健全さはこれからも大事にしていきたいと思っている。

 近年の自分はどうも、不健全の閾値を超えてしまい、健康を損ねてしまったようだから。健康な心身とほどよく不健全な自分をうまく両立させて過ごせるようになりたいと思う。余裕をもって、ゆる~く、でもキッチリと、元気に。